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【知床世界自然遺産20周年インタビュー】「歩いた記憶」が、いつか故郷へ帰る道標になる。

漁師・元「ふるさと少年探険隊」隊長 濱屋 修司

 世界自然遺産・知床。その雄大な自然の中を、子どもたちが自分の足で歩き、故郷を知る羅臼町「ふるさと少年探険隊」。 長年にわたり隊長として子どもたちを先導し、自身もまた羅臼の海で漁師として生きてきた濱屋修司氏。 「特別な場所ではなく、生活の場所」と語る彼にインタビューを行った。


「世界自然遺産」なんて言葉がない頃から、ここは俺たちの遊び場だった

 世界自然遺産としての価値・・・。正直なところ、ピンとこない。生まれてからずっとここに住んでいて、この自然が当たり前の中で育ってきた。子どもの頃は、親父について昆布番屋に行って、そこで遊んでいた。「大自然」というよりは「生活の場」であり「遊び場」。それが自分にとっての知床。

 また、20年前に世界自然遺産になったからといって、劇的に生活が変わったわけではないが、外から見る目は変わったと思う。小さいころからの変化と言えば、昔は観音岩のあたりまで歩いて遊びに行っても、ヒグマなんて見たことなかった。それが今では、そこら中にヒグマがいる。自然環境も、野生動物たちの動きも、子どもの頃とは明らかに変わってきている。それが「世界遺産になって守られたから」なのか、時代の変化なのかは分からない。

泣きながら歩いたその先に、「達成感」がある

 「ふるさと少年探険隊」に関わるようになったのは、自分の子どもが小学生の頃に誘われたのがきっかけ。気づけば一般のスタッフから隊長まで、20年近く関わることになった。

 探険隊は、知床の自然の中を、自分の足で歩き通す。時には厳しい道のりもある。2025年には、子どもたちが歩いている最中に、地震が発生し津波警報が出た。船の上から「これはまずい」となったが、現場のスタッフがすぐに高台へ避難した。そんな時、子どもたちは不安がるし、予定通りのルートには行けない。でも、そういう「思い通りにいかない自然」を肌で感じることも、ここでの学びであり、ただのキャンプではない。

 また、最近の子どもたちは、昔に比べて歩くのが遅くなったかもしれないし、すぐに弱音を吐くかもしれない。でも、最後まで歩ききった時の顔は、昔も今も変わらない。泣きながらでもゴールした時の「達成感」。それを味わわせてやりたい一心で、大人はサポートする。親御さんも、我が子が泥だらけになって帰ってきた姿を見て、何かを感じてくれる。それが大事なんだと思う。

魚が減り、人が減る。それでも「記憶」を残したい

 漁師としても、海の変化は肌で感じている。昔は当たり前に獲れていたスケソウダラやイカが獲れなくなったり、海水温が上がって、獲れる魚も変わってきている。漁業だけで食っていくのは、正直厳しい時代になってきている。

 そして、一番の心配は人が減っていること。漁業が厳しくなれば、若い人は町を出ていく。それは仕方がないことかもしれないが、だからこそ「探険隊」のような経験が必要なんだと思う。子どもの頃に、仲間と一緒に汗を流して、この羅臼の自然の中を歩き通した記憶。その「強烈な原体験」があれば、一度は外に出ても、「やっぱり羅臼はいいところだったな」って思い出してくれるかもしれない。いつか戻ってくるきっかけになるかもしれない。

遺産を守るのは、結局「人」だから

 世界自然遺産20周年といっても、そこで生きる「人」がいなくなれば、町は消えてしまう。建物や道路が立派になっても、そこに魂を入れるのは人間だ。

 もう還暦を過ぎて、漁師としても一線は退きつつあるけれど、これからの羅臼を作るのは今の若い人たちと、子どもたち。彼らが「ここで生きていきたい」と思えるような誇りを持てるような記憶を大人がどれだけ残してやれるか。特別なことは言えないけれど、俺たちがやってきたのは、そういう「種まき」だったんじゃないかなと思っている。

最後に、ふるさと少年探険隊スタッフへ

「これからも子どもたちが憧れるような、格好良い探険隊スタッフでいてくれ。」

Prologue of the adventure

羅臼シレココ
プロジェクト