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【知床世界自然遺産20周年インタビュー】元ハンターが愛した山と海の記憶、そして未来。

宮腰整骨院 院長 宮腰 實

 知床・羅臼町で長年にわたり地域医療を支える「宮腰整骨院」の宮腰實氏。昭和46年に根室から移住し、柔道整復師として働く傍ら、ハンターや山岳会員として知床の山に分け入った。76歳で銃を置き、ハンターを引退した今、宮腰氏の目に映る知床の自然の変化と、羅臼町の産業が向かうべき未来について話を聞いた。


憧れを追いかけて。ハンターとして生きた知床

 ハンターになりたいと思ったのは、小学生の頃でした。風連湖に近い開拓集落で暮らしていたある日、僅か10戸ほどの集落で馬が羆(ヒグマ)にやられたことがありました。農地開発に必要な馬を失うことは、利き腕をもぎ取られるような大事件です。その事件はアイヌの猟師が一週間ほどで巨熊を仕留めたことで終了しました。その超人的な猟師の姿を見て、「大きくなったら自分も熊を獲ろう」と心に決めたのがすべての原点です。

 また、村の爺さんと山中を歩き、ズッシリと重い獲物を持ち帰った思い出も、私の銃への憧れを大きくしてくれました。自らも銃を手にすると、最初は寄せ集めの部品で作られた銃でしたが、やがてレミントンへと持ち替え、キツネやカモを追う日々に没頭しました。

 そして、昭和46年に柔道整復師として根室から羅臼に移住し、山での熊猟でも、数々の厳しい現場を経験しました。尊敬していた熊撃ち名人が手負いの母熊に逆襲されて命を落とす悲劇や、民家に侵入し日本酒をラッパ飲みする親子熊の駆除、さらには手負いの大熊の追跡など、数え上げればきりがないほどの戦いの日々は、今や私にとってかけがえのない懐かしい思い出です。

「英嶺山」の開削。この景色を分かち合うために

 狩猟だけでなく羅臼山岳会の会員として、山の魅力を多くの人に伝えることにも情熱を注ぎました。

 とある日、酷い二日酔いを解消するために自宅向かいの急斜面を登った私は、頂上から望む羅臼岳や国後島の絶景に息を呑みました。食べるものも無く、時折足元の雪を口に運びながら歩を進めた先には、流氷の海峡と雪の国後島が広がっていたのです。

 この感動を共有したく、「このコースを作らねば男じゃない」と決意し、仲間である山岳会メンバーと協力し、登山道の開削に着手しました。羅臼の古老たちはその山を昔から「英霊山」と呼んでいたこともあり、涌坂さん発案により「英嶺山」と命名されました 。

 道を切り拓く作業は困難を極めました。相手は、人間の背丈を超えるほど太く強靭な笹です。この手ごわい自然との闘いは、実に3年にも及びました。地道な道づくりの過程には、仲間との温かいエピソードもありました。作業の途中で海上保安署の四ツ倉氏が加わった際、彼にちなんで無名の沼を「四ツ倉沼」と名付けたところ、涙を流して喜んでくれました。また、大笹で視界の悪いコースの途中で、望遠鏡からどんぐりを食べるヒグマを観察できた地点を「熊見台」と命名するなど、遊び心と情熱を持って作業を進めました。

 そんな私たちの支えとなったのが、毎週日曜日の午後3時に羅臼町内の「喫茶二軒目」で行う“燃料補給”です。結果的にこの飲食代が一番の出費になりましたが、作業を継続するための大きな原動力でした。

 そして駒大苫小牧高校が甲子園で初優勝を果たした記念すべき日に、ついに頂上看板を設置してルートが完成しました。私たちが作った道は、後に国土地理院の地図やガイドブックにも正式なルートとして掲載されました。現在では有志による継続的な整備も進み、多くの登山者に親しまれる登山道となっています。

羅臼の豊かさの源泉。「ルシャモン」が運ぶ命の循環

 知床が世界自然遺産に登録されてから20年。私たちが道を切り拓いた険しい山々は、実は海の豊かさとも深く繋がっています。この豊かな生態系を支えているのは、羅臼特有の風、「ルシャモン(ルシャ風)」ではないかと私は考えています。

 以前、ある専門家がこう言いました。「羅臼の磯の豊かさは、あの風にある」と。 オホーツク海側から山を越えて吹き下ろす強い風が海水をかき回し、深層水を持ちあげる。それがプランクトンを育て、小魚を呼び、それを追ってトドやワシたちの恵みに繋がる。あの風こそが、ここで生きる命の循環を作っている源なんです。

変化する環境と、羅臼の海の価値

 私自身も長くこの地に住み、羅臼の自然の恵みをどう活かすか、模索を続けてきました。その一つが「海洋深層水」の事業です。深層水を使った焼酎『グランブルー』の名付け親は、実は私です。当時、焼酎の瓶といえば緑色が当たり前でしたが、「これからはブルーの時代だ」と青い瓶を提案しました。ただの「水」を売るのではなく、羅臼の海が持つ物語や「海の深さ」そのものを外の世界へ届けるための工夫でした。

 しかし、一つもどかしく感じていることがあります。それは、この46年間、羅臼の漁業の出荷方法がほとんど変わっていないことです。魚を獲って、そのまま素材として送るだけでは、漁獲量が減れば町の人々の暮らしが立ち行かなくなります。今求められているのは、「獲る」だけでなく「作る」知恵です。

 たとえば、高齢化で火を使えないお年寄りが増えている今、羅臼のカレイやサケを電子レンジで温めるだけの「おばあちゃんの煮付け」にして届ける。そうやって素材にひと手間加え、付加価値をつければ、たとえ獲れる量が半分になっても価値は維持できるはずです。

 羅臼には、「ルシャモン」が育んでくれる世界に誇れる豊かな海があります。その恵みにあぐらをかくことなく、自分たちの手で新しい価値へと磨き上げる。そんな気概を持った若い世代が、この町を未来へ繋いでくれることを、私は心から期待しています。

~地の涯の 遺産の山の 初日かな~ 
[ 宮腰 鹿山 ]

Prologue of the adventure

羅臼シレココ
プロジェクト