刺し網漁師 野澤 拓也
世界自然遺産・知床の海は、魚類が豊富な漁場としても知られている。しかし、その豊穣の海に今、かつてない異変が起きている。羅臼町で刺し網漁を営む野澤拓也氏は、日々海の上で肌身に感じる環境の変化と、漁業という生業が直面する課題について、飾らない言葉で語ってくれた。世界遺産登録20周年を迎えた今、漁師の視点から見る「知床の現在地」とは。
世界遺産という「看板」と、漁師の実感
世界自然遺産登録から20年。正直なところ、私たち漁師個人の生活で「世界自然遺産になったからとても良くなった」と実感する場面はそう多くありません。もちろん、羅臼町全体として見れば、観光客が増え、町にお金が落ちることは良いことです。飲食店や宿泊施設が潤えば、巡り巡って町全体の活力になる。
ただ、漁師としての視点だけで言えば、海にゴミを捨てないなどの、マナーを守るといった当たり前の意識は昔から変わりません。そして、世界自然遺産という「付加価値」が、獲った魚の単価にどれだけ反映されているかと言えば、まだ実感としては薄いというのが本音です。それでも、知床というブランドが守られていることは、長い目で見れば私たちの魚の価値を下支えしてくれているのだと思います。
現場で感じる異変
この20年で一番変わったのは、間違いなく「海の中」です。ここ数年の海水温の上昇は異常です。例えば、秋から冬にかけての海。外気温がマイナスになっても、海水温が16度もあったりする。すると何が起きるか。海から湯気が出るんです。お風呂みたいに。気温と水温の差が10度以上もあるなんて、昔では考えられない光景です。
獲れる魚も変わりました。かつて羅臼の冬を支えていたスケソウダラなどが減り、秋の味覚であるサケの時期も変わってきました。そのかわりに、以前はほとんど見かけなかったブリが増え、本来ここにいるはずのないマグロがかかることもある。「獲れる魚が変わったなら、それを獲ればよい」と言うのは簡単ですが、漁法も道具も流通も違う。海の変化のスピードに、人間側が追いつくのは容易ではありません。
漁業が衰退すれば、町も消える
私が抱いている一番の不安は、やはり人口減少と後継者不足です。 漁師の高齢化が進み、若い人が減っている。これは羅臼だけの問題ではありませんが、漁業という基幹産業が衰退すれば、この町自体が立ち行かなくなります。港に活気がなくなれば、町は寂れていく一方。
だからこそ、ただ「魚が獲れない」と嘆くだけではダメなんです。数が獲れないなら、単価を上げる努力をしなければならない。獲れた魚をどう見せ、どう売るか。SNSでの発信や、都市部へのPRなど、今まで漁師があまりやってこなかったことにも目を向ける必要があります。「昭和時代の羅臼」のままでは、これからの時代は生き残れない。若い世代が中心となって、新しい価値観を取り入れていかなければならないと感じています。
港の活気こそが、羅臼の希望
これからの羅臼に必要なのは、行政、漁協、そして私たち漁師が、もっと連携して「まちづくり」に取り組むことだと思います。観光客の皆さんが港を見て「活気があるな」「面白いな」と感じてくれること。それが町の魅力に直結する。漁師が獲ってきた魚を、観光客が美味しく食べ、その賑わいがまた漁師の励みになる。そんな循環を作りたい。
自然相手の仕事ですから、来年のことは誰にも分かりません。それでも、私たちはこの海で生きていくしかない。変わりゆく環境に対応し、魚の価値を高め、次の世代にバトンを渡せるような強い漁業を作っていく。それが、この海で生きる私たちの責任だと思っています。
